東大懐古 平井弘氏
東大懐古
三十一年振りにホームカミングデイに参加した。此の日はよく私共の太極拳全国大会の日と合致するので二年不参加した。自宅奥沢より東大前まで南北線で一直線、農学部正門前から東大正門前まで歩くと、昔は此処に市電の停留場があった。入学の翌年昭和16年四月に、入学早々の内藤祐次君に会った。水戸高ラグビーの後輩で後のエーザー社長である。在学中毎日授業後雑司が谷の下宿まで歩いて帰ったが、どの横町から入ったのかと見渡す。正門を入ると銀杏並木は昔ながらに美事である。安田講堂を通して撮る。昭和十五年四月、入学早々に左側の樹下で水高同級の佐藤哲郎(元最高裁判事)、鈴木雅雄(戦死)と一緒に撮影したが、皆亡くなった。
左手法文1号館には従兄弟の田中健夫君が東洋史教授として史料編纂所長をしていたが本人に確認したら、赤門左側であったと言う。二十二番教室は本学学長平野龍一氏等と一緒に学んだところ。刑事訴訟法の團藤重光先生は未だお若かった。二十五番教室では民法の末弘厳太郎先生、我妻栄先生、親族法の穂積重遠先生、英法の高柳賢三先生、向いの三一番教室では憲法の宮沢俊義先生、刑法の小野清一郎先生、商法の田中耕太郎先生等々。謹厳な中にも時々ユーモアのある諸先生の温顔を思い出す。
講堂前のベンチでは、昭和十七年四月十八日に米国ドゥルリットル空軍の大きな飛行機が講堂上空すれすれに飛び去ったこと(東京初空襲)を思い出す。向いの工学部二階の窓から陸軍の派遣学生が「あっ敵機だ、敵機だ」と叫んでいた。
歓迎式典のある安田講堂に入る。二階に招じられて上がったが初めてである。十七年九月末の卒業式の日、平賀総長のあと東條首相が激励の演説をされたことを鮮明に思い出した。前橋から参加した両親と帰りは一緒に市電で皇居前を通り遥拝して上野に向った。私は十月一日に青山の近衛歩兵四聯隊に入隊した。六十六年前の昔になる。
平井(旧姓柚木)弘 S17法
T8年3月前橋市生 S17年法学部卒
元)関西電力勤務
現)日中太極拳交流協会監事
著書 やさしい太極拳気功健康法(叢文社)




